京都霊山護国神社は、明治元年5月に、明治維新の実現のために倒れた志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社です。この地に築かれたのは、既に幕末期において尊王派の志士達の聖地とされていたためであり、当初の社号は特に官祭の二字を冠して霊山官祭招魂社と称していました。ここには、1043の志士たちの御霊が祀られています。
主な志士は、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、武市半平太、木戸孝允、久坂玄瑞、梁川星巌、徳川斉昭、梅田雲浜、真木和泉守、平野国臣、橋本左内、頼三樹三郎、中山忠光などです。
。(http://www.digimake.co.jp/webtown/higashiyama/gokoka/gokoka.html より)
 | 維新の道 東大路通りから京都霊山護国神社へ向かう参道を、「維新の道」と言います。途中、ねねの道や二年坂への分かれ道があり、この鳥居から先は、かなりきつい登坂となっています。この坂を上りきったところに、維新の志士たちを祀った京都護国神社、幕末史を専門に扱う霊山歴史館、霊山を勤王の志士たちの聖地とした霊明神社があります。 |
翠紅館跡 翠紅館は,元は叔阿弥という正法寺の塔頭の一つでした。正法寺の塔頭は幾つかあり、円山の安養寺の六阿弥と同じ様に、それぞれ庶民の遊興や文人墨客の詩歌・書画会などの貸席として使われていました。天保年間(1830年〜44年)に西本願寺の所有となり、荒廃していた庭園を整備、書院を新築して翠紅館と改称しました。
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 | 翠紅館跡 1863年(文久3年)年1月に土佐藩武市半平太、長州藩井上聞多、久坂玄瑞など、また同年6月には長州藩桂小五郎、久留米藩真木和泉守などの反幕府勢力の各藩志士代表者の会議がもたれ,攘夷の具体策が検討されました。これを世に翠紅館会議と言います。
翠紅館は、桂宮淑子内親王が非常時の避難所としている西本願寺の別院であったため、幕吏はうかつに手を出す事が出来なかったようです。現在は、料亭「京大和」となっています。 |
維新の道 東大路通りから京都霊山護国神社へ向かう参道を、「維新の道」と言います。途中、ねねの道や二年坂への分かれ道があり、この鳥居から先は、かなりきつい登坂となっています。この坂を上りきったところに、維新の志士たちを祀った京都護国神社、幕末史を専門に扱う霊山歴史館、霊山を勤王の志士たちの聖地とした霊明神社があります。
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 | 霊山歴史館 霊山歴史館は、1970年(昭和45年)に、日本で唯一の幕末・明治維新の専門歴史博物館として開館しました。江戸中期以降の志士、朝廷、公卿、諸侯など重要人物の遺墨、遺品、書状や各種資料などの収集、調査、研究、公開展示を行っていおり、収集資料は5000点以上、常設展ではこのうち約100点を展示しています。
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京都霊山護国神社
明治元年に創建された神社で、その東の山腹に坂本龍馬を初めとする1356柱の維新の志士達の墓がある事で知られます。主な埋葬者は、桂小五郎、幾松、久坂玄瑞、吉田稔麿、吉村寅太郎、品川弥二郎など。 東大路通りからこの京都霊山護国神社へと通じる道は、「維新の道」として親しまれています。
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 | 木戸孝允勅撰碑
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坂本龍馬、中岡慎太郎の墓
京都霊山護国神社に眠る、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓。明治維新の実現に大きな働きをしたこの土佐の二人の英傑は、1867年(慶応3年)11月15日に近江屋において襲われ、相次いで亡くなりました。二人を慕う人は今なお多く、この墓前には常に新しい花が供えられています。また、毎年11月15日には、墓前祭が開かれています。
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 | 池田屋騒動
騒動殉難烈士の墓
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| 維新の志士の墓
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 | 坂本龍馬、中岡慎太郎の像 坂本龍馬と中岡慎太郎の墓の前に立つ二人の銅像。1962年(昭和37年)5月3日に、京都高知県人会によって建てられました。これと同じデザインで、円山公園にも建てられています。
ちなみに、龍馬が立って慎太郎が座っているのは、両者の身長差がありすぎて、立って並ぶとバランスが悪いからとか。龍馬の身長は174p前後あったそうですから、当時としては大男だったのですね。
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